「ハザール・カガナートの成立:東ヨーロッパにおける突厥帝国の衰退とスラヴ民族の台頭」
7世紀の中盤、ユーラシア大陸の広大な草原地帯に、新たな勢力が台頭しました。それが、ハザール・カガナートです。この遊牧民国家は、カスピ海から黒海にかけての地域を支配し、東ヨーロッパの歴史に大きな影響を与えました。
ハザールの興隆は、当時中央アジアを支配していた突厥帝国の衰退と密接に関係しています。突厥帝国は、6世紀後半から7世紀初頭にかけて、広大な領土を支配していましたが、内部抗争や周辺民族との衝突によって徐々に力を失っていきました。その隙を突き、ハザール人は突厥帝国の支配から脱却し、独自の国家を樹立しました。
ハザール・カガナートは、強力な騎馬軍団と優れた外交手腕を武器に、周辺諸国との関係を巧みに構築していきました。特に、東ローマ帝国やアラブ・イスラム世界とは活発な交易を行い、経済的な繁栄を遂げました。
ハザール人はユダヤ教を採用し、独自の宗教政策を展開しました。この政策は、当時の多様な宗教環境において、ハザール・カガナートの存在感を高める役割を果たしたと考えられます。
しかし、ハザール・カガナートの栄華も長くは続きませんでした。9世紀後半、キエフ・ルスと呼ばれる東スラヴ人の国家が台頭し、ハザールの勢力を脅かしてきます。そして、10世紀初頭に、キエフ・ルスによってハザール・カガナートは滅ぼされました。
ハザール・カガナートの滅亡は、東ヨーロッパの歴史において大きな転換点となりました。ハザール人の支配が終焉し、スラヴ民族が地域における主導権を握ることになったのです。
ハザール・カガナートの政治体制と社会構造
ハザール・カガナートは、遊牧民国家らしい独特の政治体制と社会構造を持っていました。その中心には、「カガン」と呼ばれる君主がいました。カガンは、絶対的な権力を持ち、軍事・政治・宗教などあらゆる分野を統治していました。
ハザールの社会は、部族に基づいた階層構造を持っていました。
階級 | 説明 |
---|---|
カガン家 | 王室 |
親族 | カガンの近親者 |
貴族 | 影響力を持つ部族長 |
通常の部民 | 農業や畜産に従事する人々 |
ハザール人は、遊牧生活を基盤としていましたが、定住化を進め、農業や貿易にも積極的に取り組んでいました。特に、黒海沿岸部は、商業の中心地として発展しました。
ハザール・カガナートの宗教政策
ハザール・カガナートは、740年頃にユダヤ教を採用しました。これは、当時の多様な宗教環境の中で、ハザール人が独自のアイデンティティを確立しようと試みた結果と考えられます。ユダヤ教の採用は、東ローマ帝国やアラブ・イスラム世界との関係構築にも役立ちました。
しかし、ハザールのユダヤ教は、正統的なユダヤ教とは異なる独自の解釈に基づいていました。このため、後の時代に、ハザール人のユダヤ教が「偽ユダヤ教」として批判されることもあります。
ハザール・カガナートの滅亡とその後
9世紀後半、キエフ・ルスと呼ばれる東スラヴ人の国家が台頭し、ハザール・カガナートを徐々に弱体化させていきました。10世紀初頭、キエフ・ルスはハザール・カガナートを征服し、その領土を支配下に収めました。
ハザールの滅亡後、その人々は東ヨーロッパ各地に散らばり、一部はキエフ・ルスに吸収されました。ハザール人の文化や伝統は、その後も東ヨーロッパの様々な地域で影響を与え続けました。
ハザール・カガナートの意義
ハザール・カガナートは、7世紀から10世紀にかけて、ユーラシア大陸東部を支配した遊牧民国家です。その興隆と衰退は、当時の国際関係や政治経済状況を理解する上で重要な手がかりを与えてくれます。
ハザールのユダヤ教の採用は、宗教的多様性と文化交流の重要性を示す例として注目されます。また、ハザール・カガナートの滅亡は、東ヨーロッパにおけるスラヴ民族の台頭と国家形成の歴史を理解する上で重要な転換点と言えます。
ハザール・カガナートは、歴史の表舞台から姿を消しましたが、その遺産は東ヨーロッパの文化や社会に深い影響を与え続けています。